1998年 10月 矛盾螺旋・殺人考察補完

 

未来福音/0

 

「他人の未来が見えるってことはあり得るんですか? 橙子さん」

 僕がそう言うと、物珍しそうな顔で橙子さんは僕を見た。

「久しぶりに顔を会わせるのに面白いことを聞いてくるじゃない。幹也君」

 こういう手の話題は僕を除いた伽藍の堂のメンバーで話し合う類の話だ。

その手の話の対極に存在するような僕が言ったもんだから橙子さんが珍しがるのも無理はない。

「ふーん、未来ねえ。それこそ魔法の域よ。もっとも今の人間が出来るのは未来を見る、じゃなくて過去の事象から構築されるであろう可能性としてもっとも高い未来の創造と想像よ。……ところでなんでそういうことを私に聞いてくるのかしら、黒桐幹也君」

 今日の橙子さんは眼鏡をかけていて人当たりがいい。こういう手の話をするときは大抵眼鏡を外して話すものなのだが生憎と、式の時みたいに危ない話ではないようだ。

 心持、安心して僕は答える。

「ええ、実は少し前に未来が見える女の子にあったんですよ。そのときにその娘が僕の未来を見たらしくて」

「へえ、貴重な機会じゃない。未来視でしょ? 詐欺師でもいまどきそんなこと言わないし本物よ、それ。直死ほどじゃないにしてもそれなりに貴重な魔眼の一種よ」

 橙子さんは心底感心したように言った。

「で、どういう未来だって?」

「僕が酷い眼に会うらしいですよ、未来で」

「それは私に対する皮肉かしらね?」

 面白そうにふふふっと笑っている。

「そういうことにしといてくださいよ」

「はいはい、幹也君や鮮花さんが私をどう思っているか知らないけど、仕事をしてくれれば陰口くらいは見逃すわよ」

 そう、いつものように僕は橙子さんに酷い目に合わされている。

それこそ陰口を言いたいほどに。

 酷いのは、仕事上だけでなく、プライベートでも、というのが最悪だ。

「未来視で見た未来って変わることってあるんでしょうか、橙子さん?」

「正しくはね、幹也君。未来視という名前自体が正確じゃないの。しいて言えば予測眼かしら。未来視というのは過去にあった事象を元にそれを対象の脳内で受動的に―――まあ、人によっては意図的にその断片的な対象の過去を元に起こりうるであろう高い確率の事象を導き出して脳内情報化するという仕組みなんだけど……まあ、大まかに分けてこの二つがあるのよ。幹也君、分かる?」

「正直、少ししか」

 というか、ちっとも分からない。

 はあ、と橙子さんはため息をつく。

「まあ、そりゃそうでしょうね。私も現物は―――過去視しか見たことがないから何とも言えないんだけどね〜」

 一瞬、疲れたような顔をしていった。嫌なことでもあったのだろうか。

「過去視なんてあるんですか?」

「今の話を聞いていなかったの、幹也君? 過去視も未来視も本質的は同じなの。過去視というのは他者の過去を断片的に受け捉え、未来視はその過去の断片を元に未来を予測構築創造想像するといった内容ってわけよ」

「つまり、未来視は過去視の発展型というわけですか」

「ええ、そうよ。ただ下手な魔術装飾品を使って探る未来なんかよりよほど的確で正確よ。まあ、八割は当たると思えばいいよ」

 水晶とか水瓶とかがそうなのよ〜なんて気楽に言ってくれた。

 なんか、魔術師というより占い師とか詐欺師みたいだ。それを察してなのか、橙子さんは馬鹿馬鹿しいなんていう。たぶん、そういうのが趣味じゃないんだろう。

「まあ、どこぞの阿呆は世界の破滅を見つけてそれに対する武器ばかり作ってるらしいんだけどね」

「物騒な話ですね。ああそれでさっきの言い方だと過去視の人と昔会ったことがあるみたいでしたけど?」

「ああ、そのことはあまり話したくなくてね。私が最近警察に行ったときのことなんだけどさ。あれは相当にイカレていたわよ。何せ殺人狂だったからね。すぐ隣の町で誰かさんの過去を見てなかなかに狂ったそうよ。その点、未来視は未来だけを当事者の脳に投影するのだから他者の過去には縛られない。だからといって私は別段、欲しくはないけどね」

 橙子さんはつまらなそうに言った。

「ああ、そういえばさ、完全に当たる未来を自らの手で作り出す存在するとすればそれはまさしく魔法だよ。もっとも、魔法の域であって魔法ではない。現在人間はある程度の未来の予測は出来るからね。一個人の未来は一個人の努力によってどれだけでも変えられることができるし、可能性としては自己実現力が優先されるからね。ほら、人間の存在自体が魔法のようだ。つまりはね、そんな力は指針―――占い程度に受け止めておいたほうが気楽だよ、黒桐。君はそういったものに酷く影響されやすいからね。その未来視の少女が言うとおり、酷い目に逢いそうだ」

「分かりました、肝に銘じておきますよ」

 なんて笑顔で言ったもんだから僕はショックを隠しきれなかった。

 

未来福音/1

 

 酷い湿気で、むうっとした気味の悪い夏の大気の残留が九月末に抜けたあと、街は一気に冬に向かって駆け込んでいった。

 もはや、秋という単語が消えている、というのが今年の秋だ。

 十月というのにその涼しさは冬のものだ。

 私、瀬尾静音はこっそりといつものように学校を抜け出した。

一ヶ月ぶりの街に出て思わず伸びをする。

 閉鎖的な学校とは違って息苦しくもない街はたとえ女学院と比べて空気が悪くても心地がいいものだ。

 私用でいつも抜け出しているのだが、私の親は寄付金も多く、他にもいろいろと理由付けることで容易に出ることが出来るのだ。

ルームメイトの鮮花はいつも呆れ顔で私に対し、

「静音はなんでわざわざ一ヶ月に一度、血縁者に会いに行くのかねぇ。まっ、私もあんたのことをとやかく言えないけどさ」

なんて言う。

その血縁者というのは私の親戚で二歳年下の晶のことだ。彼女は私と同じく全寮制の学校(それもうちの学校をモデルとして鮮花の友人である浅上藤乃さんの父方の人が作った学校だ。こっちをモデルにしているもんだから向こうも女性だけの学校だ)にいるんだけど二人でこうしてよく抜け出て同人誌の製作とかをしている。

それで、今日は晶といつものようにアーネンエルベで待ち合わせしているのだがいまだに彼女の姿は見えない。

外の夕日も沈み、次第に底冷えしてくるようになってきた。

待ち合わせから二時間も経過した。持ってきた文庫本五冊も、とうに読み終わってしまった。

ここはパイの一つでも奢って貰わなければいけない、むしろタイム・イズ・マネー、時は金なりというか、時間がないと本も作れないのでここは私が先にパイを食べておいて後々晶に払わせればOK!

そんなわけで私はタルトを注文し、今まで食べたことのない秋限定のマロンタルトなんていう高級なものを食べようとした矢先、店内放送で私の名前が呼ばれた。

 ―――非常に嫌な予感がした。

 私も晶も携帯電話を持っていない。

学校のほうで禁じられているものだからいつも連絡をするのに苦労する。

 店内放送で言った先で待っていたのは受話器―――要するに晶からの電話だろう。

「ごめん! 遠野先輩に生徒会の仕事今日中のやつがあって、いけるとしたらいつものホテルに今日の夜か、あしたの朝になると思うの。ごめん」

 と、早口で晶は言って電話を切った。

 早口で言ったのは私が何かしら文句を言うと思ったからだろう。

でも私も晶の立場だったら同じようなことはするに違いない。少し同情する。

 そんなときだった。私はいまさらながら大事なことに気づいた。

「マロンタルトのお金足りないかも……」

 ホテル代を差し引いてもぎりぎりだ。

 こっそりと席に戻り、財布を覗く。ホテルのお金は絶対必須だ。晶と二人で泊まれる部屋でないと意味がない。

 見ると、百円足りない。

 むしろ、鮮花に昨日二千円を貸したのだ。

お金があるはずはない。

くそう、鮮花め、恨むぞ。でも現実は厳しくて、結局、………どうしよう。

 どっと、蛙のように汗が噴出した。

 ああ、こんなの漫画とかで使える面白いネタなのにどうしよう。自分がネタだなんて。

 私は紅茶を優雅にすすりながら内心びくびくしてこっそりと周囲を見回した。

 ああ、どうしよう。野宿は寒いからイヤだなぁ、ホテルもビジネスの格安だからアレ以下の値段だと、その……えっちいやつしか残っていない。

 ふと、後ろから声をかけられた。

「どうかしたのかい?」

 振り返ると全身黒尽くめで整った顔つきをした少し年上の人がいた。眼鏡をかけていて温和そうな顔をしている。

「なんだか、さっきから見ていたんだけど呼ばれて店の奥行くなりそんな風に困った顔しているしさ……」

 地獄に仏とは正にこのことであろうか、私は思わずその人にこっそりと耳打ちした。

「……じつは百円足りなくなっちゃったんですよ」

 そういうと、その男の人はきょとんとした顔になってふっと息を吐くなり百円を私に出した。

「はい、これ。礼園女学院の生徒さんがこんなところまで来て何のようかしらないけど世の中危ない人が多いから気をつけるんだよ」

 なんて、私に言う。

 じゃあね、なんて人のいい笑顔で去っていこうとする彼を私は思わず引き止めた。

 普段の私なら多分出来ない芸当だ。はっきり言って私はかなり気が小さい。

 だけど、何より感謝の気持ちが大きくて自然にしゃべってしまう。たぶん、顔も真っ赤だ。

「あ、あの! ありが―――」

 ―――そんなときだった。

 私が彼の袖に触れたとき、頭に閃光が走る。

 ようするに、だ。これは大変困った力なのだ。

私は月に一度くらい―――多いときは週に何度か、少ないときは数ヶ月に一度、他人の未来を覗いてしまえる力がある。

 なんだか、プライバシーとかを無視した力なのであまり好きではない。

 この力自体は私が小さいころから持っていて誰も信じてくれないからずっと黙っていた力だ。

いい加減こんなもの消えてしまえばいい。

だって、他人の未来なんてたいていは不幸な事故ばかりしか見ることが出来ないから。

そんなことを考えてるときに現れた未来の景色は……

 

 ―――足を切られて外国人の男性に暴力を振られる目の前の男性。

 

―――ナイフを持った中性的な人間に脅される目の前の男性。

 

 ―――顔が割れて血を流して倒れている目の前の男性。

 

 そんな光景が、終わったあと、私は思わず、呟いてしまった。

 

「―――あなた、いまのままだと近いうちに死んじゃうかもしれません」

 と、喫茶店には場違いなことを彼に言ってしまった。

 

 未来福音/2

 

 その日、式と久しぶりに会うためにアーネンエルベに来た。

 僕、黒桐幹也は今、自動車学校に通っている。

橙子さんに紹介された全寮制の一ヶ月半で取れる免許者センターだ。

橙子さんの紹介だと教官にいったらものすごくにらまれた。あの人はどれだけ恨みを買っているのだろう。

 その学校は土日が休みとなっているが先週はその貴重な土日に仕事が入り、三週間も式にあっていない。

 僕はなんとか橙子さんにお願いして休みにしてもらい、式と待ち合わせをした。

 当の本人は、というと、相変わらず電話口で気怠そうに、

「しかたないからあってやる」

なんて言うもんだからこっちも対応に困ってしまうものだ。

でも、その声はどことなく嬉しそうな響きに聞こえた。

そんなことを本人の前で言ったら間違いなく蹴っ飛ばされることだろう。

そんな式の声を聞いて僕も上機嫌で式を待っていられたのは三時間前までだ。

―――初の五時間の遅刻。

式が遅刻をするのはそう珍しいことではないが、それにしても酷い遅刻なものだ。

二時間が経ってから式の家に電話をかけるとちっとも反応がない。

だから、なし崩し的に橙子さんに電話すると、

「ようは徹夜だ。仕事であいつを使ったからね。今頃は夢の世界だろうッ―――」

橙子さんの言葉の途中で、僕は受話器を降ろした。

―――まったく、あの人はわざとやっているんじゃないだろうか。

僕はそんなことを聞くなり、紅茶一杯でかれこれ五時間も粘っている。

自分がここまで図々しい人間だとは思わなかった。

新しい発見だがあまり発見したくないことだった。自分のいやなところは気づいてあまり気持ちのいいものじゃない。

そんな僕がここでじっと待ち続けているのはやっぱり式を待ちたいからだ。

式は多分起きると真っ先にここに来るだろう。

だから僕はそんな式の姿をあれこれ想像していた。

しかし、紅茶一杯で五時間も粘り続け、式の来る様子を思い浮かべてにやにや笑っているのもだから店にとっては相当に迷惑な客だろう。

そんな時、礼園女学院の生徒がやってきた。

ふと、夏の雨の中で出会った女学院の生徒を思い出した。

彼女はどうなったのだろうか。

名前も知らない少女。

ただ、願うならあの少女が浅上藤乃ではないことだけだ。

あいにく、鮮花にも橙子さんにも聞いてはいない。自分のし甲斐なさに腹が立つ。

余計なことを知ってしまえばそれに苛む、なんてのは橙子さんの言葉だけどそのとおりだと思った。だって僕が地球の裏側の飢えた子供たちのことをどれだけかわいそうだと思ってもそれは彼らにとって何の救いにもならない。目の前のことで精一杯なのにぜんぜん知らないことに気を回していくなんて神様にしか出来ない。いや、神様にも出来ないから僕たちはこんなにも苦労しているんだろう。それでも――苦しんでいる人がいることは忘れてはいけない気がする。

こういう考えも自分を苛むものなのかな、なんて僕は礼園女学院の制服を着た彼女を見てそんなことを思った。

その少女もどうやら待ち人がいるらしく僕はその様子をぼうっと見ていた。

まさか、その後すぐにとんでもないことを彼女に言われるものだとは予想だにしていなかったのだが。

 

 

「―――あなた、いまのままだと近いうちに死んじゃうかもしれません」

なんて、その女の子に言われたものだからどうすればいいのだろうか。

少女はそういうなり、はっとして慌てふためいた様子で僕の手を引っ張ってさっきまで自分が座っていた席の前に僕を案内した。

 その子は手をテーブルの下でもじもじと動かしながら僕のほうを下から見上げるような仕草で見てぼそっと呟いた。ものすごく挙動不審だけど、彼女のどこか必死な態度は見捨てられない。

 こういうのも、余計なことを知ってしまえばそれに苛むってことなのだろうか?

「あ、あの、その、私。失礼な事、言いましたよね。すみません」

なんて小動物みたいな―――過保護したくなるリスみたいな顔で僕を見て言う。

どことなく―――他のみんなは否定するだろうが―――式の時折見せるウサギのような態度に似ている。

まあ、鮮花にもこれくらいの可愛げがあればいいんだけど、生憎とよく出来すぎた妹で困ったものだ。

「その、やっぱり………怒っていますか」

 ああ、まったく持って鮮花とは逆のタイプだ。なんて見当違いなことを考えつつ、

「ああ、別に怒っていないよ。でさ、僕が死んでしまうってどういうことだい?」

 そういうと、びくっと震えたように彼女は僕に対してすまなさそうな眼で見る。

「実は、その―――私、普通の人とちょっと違うんです」

 そう言われても別段、普通の高校生にしか見えない。当たり前だが。

「普通とは違うって言ったら例えば―――そうだな、超能力があるとかかな?」

 そういうと彼女は驚いた表情をした。

 感情がそのまんま顔に表れる娘なんて僕の周りでは式以外いない。そういうとみんな反対するが。

橙子さんや鮮花はたいていのことを言っても沈着冷静だ。なんというか、みんな可愛げがない。

「なんで分かったんですか?」

 だけど、どうやら僕はこういう手の人間との縁が人の五倍はあるらしい。

いや、普通の人がどれほどの確立でこういうのに当たるかは分からないけど、人一倍なんていう表現なんてあまっちょろいって思う、絶対。

「いや、その僕の周りでも超能力者みたいなのはいるからさ」

 それと待ち合わせしていたなんてとてもいえない。

とどめに就職先の上司がその変人達のボスだなんて口が裂けても言えない。

 なんたって魔法使いだ。

それも比喩でも冗談でもなく。

いや、魔法使いじゃなくても十分変人だといいたい。

「はあ、あなたは違うんですか」

「ぼっ、僕は違うよ! 知り合いにいるだけで会って僕自身はなんの力もないよ!」

いくら周りがあんな人たちだからって僕自身は悔しいくらい普通人だ。

少しでも式や橙子さんの役に立ちたいものだが、鮮花がそれを許さない。

鮮花曰く、

「二度と式には関わらないでください」

 とのことだ。口癖のように僕を見るたびに言う。実の妹に毛嫌いされる兄の友人とはいかなるものだろうか。

「―――それで、私の力なんですけど、って人の話聞いてます?」

「ん? あ、ああ。聞いて―――なかったごめん。ちょっといろんなことを思い出していてさ。で? 君の力って何?」

 もー、と僕を軽く彼女は睨んだ。その動作はとても可愛かった。

 うわ、こういう妹なら欲しいかもしれない。鮮花にはこんなころなんてなかったぞ。

「私は、時たま、他人(ひと)未来(さき)が視えてしまうんです。それで見た未来であなたが……」

「死んでいた、或いは死にそうになっていたってことかい?」

「そうです。って、一ついいですか。私が嘘を言っているなんて思わないんですか?」

「あのねえ、普通『私には未来が見えます。』って言う人がいると思う? そういう人は殆どが怪しい宗教云々で勧誘目的だろうけど君はそういう気配がちっともないし、何より顔が真剣だった。それに僕の周りもそんな人ばかりだから信じずにはいられないよ」

「………信じてくれてありがとうございます。あ、あの、こういっては何なんですけど、さっきの未来の話ですが和服を着てナイフを持っている女性があなたを殺そうとしていたんです」

 ああ、なんだ。予想通りだ。別にそれなら二年前に覚悟していた。

「僕のことを心配してくれるのはありがたいけどさ、その和服を着た女の人と僕、ここで待ち合わせしていたんだ。式っていうんだけどさ、別にそれくらいなら予想がついていたから君が気にすることはないよ」

 え? と、彼女は呆けたような顔になった。まあ、めちゃくちゃだよな、こういう風に自分が殺されることを肯定して言う人間なんてのは。

「あのさ、式は僕のことをそういう風にするのは昔からなんだ。だから気にすることはないよ」

 そういうと、目の前の女の子はますます困ったような顔になっていく。

「で、でも死んじゃうんですよ。怖くはないんですか!?」

「そりゃ怖いさ。人間だからね。でも僕は式になら構わないと思っている」

 そう、それは事実。彼女は誰も殺していない。これからも殺すことはないだろう。だから、彼女が殺していた織の代わりをするって決めたから僕は織として殺されてもいい。

 だれも殺していないことを信じて、僕が織の代わりを務める。

 それが二年前、何も出来なかった僕が出来る唯一の償い。

「だから、さ。式のことならほうっておいてもいいだよ。その予言―――じゃないな、一度見た未来って絶対にあたるわけじゃないんだよね」

 渋々彼女はうなずいた。

どうやらそうらしい。

「だからさ、それは可能性の一つであって、これからどれだけでも変わるってことだろ。今の式ならそうなるかもしれないけどこれからの式は―――僕もそういうことにならないこともあるんなら最大限の努力をすればいいと思う」

 これだけは、本音だ。

「っと、そういえば名前聞いていなかったね。僕は黒桐幹也。一応社会人。でさ、お金は貸してあげ―――あ、いいよ。こちらが奢ってあげるよ。貴重な力で大切なことがわかったからね」

「ええ! そんないいですよ。こっちが勝手に引き止めてしまったんですから―――って、こっ、黒桐さん?」

 どうしたのだろう? いきなり目の前の女の子の顔が青ざめていく。変わった苗字だから、ってわけではなさそうだ。

「まっ、まさか鮮花の、お、お兄さん?」

 その変わった苗字を返されるとは思いもしなかった。

「えっ? 鮮花を知ってるの? 鮮花のやつ学校で相当に悪いことをしているんだな」

「ちっ、ちがいます。ルームメイトなんです」

「あっ、そうなんだ。面白い偶然だね。うん。性格は違うけど僕は黒桐鮮花の兄だよ」

「いろいろと苦労していそうですね、黒桐さん」

 なんか、いろいろ察してくれたみたいだ。苦労っていうのは自分の経験から出たんだろう。

「まあね。あいつの愚痴は下手に言えないからね。今ここで言ったら君を脅してでもあいつ聞いてきそうだし」

「そうですね。あ、こっち名前言ってませんでした。すみません。瀬尾静音、といいます」

 なんだか、この子に似合った名前だ。静かな音、か。鮮花の尻に敷かれていそうだ。もっとも僕はそんなことを言えた立場ではないけど。兄としてはつくづく情けない。

「そうっか、静音ちゃん。この代金は僕が…」

 そう言い掛けた矢先だった。

「おい、コクトー」

 聞きなれたイントネーションで僕を呼ぶ声。

五時間半遅刻して話題の主はやってきた。

「ああ、式。遅かったね」

 目の前の女学院の生徒はあっけにとられた顔をしている。

「なんだ、また女連れか、幹也。それも礼園女学院と来たもんだ。鮮花が知ったら間違いなく癇癪を起こすぜ」

 式はいつもの気怠るそうな声で―――赤い革ジャンを羽織った格好で来た。

「あのなあ、式。人が困っていたら助けるもんだろ。だからこうしているんじゃないか。あったのもたまたま、今日しゃべるのも初めて。式が来るのが遅いからこうなったんだぞ」

 そういうと、式はむっと、不機嫌顔になるが、文句は言わなかった。

 僕が言っていることに反論できないから、じゃなくて、自分が五時間以上寝過ごしたことに腹でも立てているのだろう。

「幹也が悪いんだ。いきなり休みだの、会えだの、オレがここに着ただけでもありがたく思え」

「はいはい。じゃあ静音ちゃん。ここの代金払っといてあげるよ」

「あっ、ありがとうございます」

 

未来福音/3

 

 黒桐幹也と名乗った青年がお金を机に置いて店を出て行ったときのことだ。

 私はまた彼らの未来を―――おそらくはあの式という少女との未来を見てしまった。

 いつかは分からない未来(さき)未来(さき)未来(さき)で彼女が笑って黒桐さんと仲良く、春の晴れた日を歩いていくのを―――

 幹也さんは怪我をしているみたいだけど、そのあまりにもまぶしい笑顔に私は少し悔しい思いをして、羨ましくて、思わず、

 

「なんだ、大丈夫じゃないですか」

 

 なんて呟いてしまった。

 私はお替り自由の紅茶を一口、砂糖も入れずに飲んだ。

 温かいけど、どこか苦味がある紅茶。

 彼らの未来はそんな紅茶とどことなく似ていた。

 体が内側からぽかぽかとしてくる。

 ふと、窓の外を見ると見慣れた晶の顔。

 相当に走ってきたらしく、息も白い。

 実に彼女らしく、ふっと笑ってしまった。

 

 体が温かいうちに、私はアーネンエルベ―――遺産という名の喫茶店から出た。

 

 ほんの、ほんの少しだけど、私はこの目が好きになった。

 だから、私はここに文字通り、私の遺産(嫌いだったモノ)を置いていくことにした。

 甲高く、アーネンエルベの鈴が鳴った。

 街には、四年ぶりの雪が降っていた。

 

未来福音・完

 

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この作品も同人誌「空埋」に収録した内容です。
空の境界限定版に収録されていた用語集から瀬尾静音というキャラクターを引っ張ってきました。
本編でも名前だけちらほらと出ていて(分からない人は殺人考察・後を読み直すように)それを参考に自分なりに書いてみました。

あともう一本、空埋の作品があるので近いうちにまたUPします。

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