2 Red

 

 ―――見たこともない光景。

 そう、これは夢。なぜなら私はとうの昔に寝たのだから起きているはずは無い。

 今居る場所は和室。広い和室にただ一人。

影という輪郭だけの森はしかし―――五感が狂いそうになるくらいの生臭い鉄のにおいで溢れている。

森はふかくて ツメタイヒカリも届かない。

歩を進める。

素足のままだ、じゃりっと小石が足の裏に当たる。

 もう、全部終わったあとだろう。

 まるで、まるで自分ひとりがこの地獄の残り滓の中を歩いているような感じ。

自分の名前をよばれた気がして、もっと奥へと歩いていく。

 木々のヴェールを抜けたあと。

 森の広場にはみんなそろって待っていた。

 みんなふぞろいのかっこう。

 みんなばらばらのてあし。

 一面 まっかになってる森のひろば。

 

 そこにいた人だったものは千切れ、焼け、切られ、悲鳴すらもはや聞こえることもなく―――そして最後は自分だろう。

 一歩、また一歩。

 進むたびに地獄の密度は増していく。

 何かが落ちた。

 冷たい。いや熱い。それに、赤い。月を仰ぐ。

 月光に映える影で判別できるのは不自然に歪んだ木の枝から―――母だったものから落ちた血が視界を朱に染め上げた。

 血で染まる瞳孔。

 ああ、なんて赤い月だろう。

 わたしは、―――なんでこの地獄に居るんだろう。

 ただ、確かなのは―――ただ寒くて。意味もなく 泣いてしまいそうだった。目にあたたかい緋色が混ざってくる。眼球の奥に染みこんでくる。だけどぜんぜん気にならない。夜空には、ただ一人きりの月がある。すごく不思議。どうしていままで気がつかなったんだろう。───なんて、ツメタイ───わるい、ユメ。ああ───気がつかなかった。

こんやはこんなにもつきが、きれい───────だ─────

 

 そんな、そんな不快な―――そして綺麗な夢を見た。

 

 頭痛、吐き気、生理とは違う夢に対する嫌悪感で寝覚めは最悪だ。おそらく生涯最悪の寝起きだろう。

 あんな経験もなく、脈絡もない夢を見るなんて―――

 私は寝ぼけまなこを擦りながら今に向かった。

 廊下の窓を見る。外は晴れ。

 梅雨の最中の晴は実に気持ちがいいはずなのに思い出すのは死体に溢れていたあの夢。

 気分は最悪。いつもより酷い朝。

「まったく、殺人嗜好なんて私にはないわ。おまけに異常者じゃあるまいし……」

 と、言っても誰も聞いていないだろう。私は今の扉を開ける。

 そこには士郎とセイバーが朝食の準備をしていた。

 ……なんというか、とても二日前に殺しあっていた二人には見えない。いや、あれは士郎から仕掛けてきたのだが。

「あ、遠坂。おはよう」

「む、お目覚めか、マスター」

 二人そろって声を出した。でも柔らかい雰囲気じゃなくてちょっとつんつんしている。

「ええ、お早う」

 何故だろう。セイバーは驚いたような顔をしている。朝は眠くてうまく頭が回らないのは私の欠点だがしかし彼の顔は驚愕に満ちている。

「遠坂、まだそれ直っていなかったのか?」

何のことだろう?

「………顔、ものすごいぞ。洗ってこい」

 なるほど、と思う。どうやら寝起きの顔は他人様に見せられるものではないというのはある程度自覚していたがあのセイバーが言葉を失うほどのものだとは。

 ここはおとなしく顔を洗ってこよう。

 

   ………

 

 私が居間につくなり、テレビをつけ、朝食をとり始める。

 やはりセイバーは日本人らしく、士郎と共に和食を作り上げた。

今日の献立は茄子と豆腐の白味噌で作られた味噌汁。紅鮭の切身の塩焼き。炊き込みご飯に浅漬けだ。

我が家にあった数限りない洋食用と中華用の材料でよくもまあ作り上げたものだ。

ただ、彼らには悪いが私は朝、食べるほうじゃない。

しかし作ってもらったものだ。ありがたくいたただくとしよう。

 

何気ないニュースが続き、食事も終え、今後の方針を話し合おうとした矢先―――

「ここ数日間行方不明事件が多発していましたが今朝未明、新都と深山町を繋ぐ冬木大橋で大量の血痕が発見されました。歩道の上にも関わらずまるで大型車に跳ねられたようになっており、その出血量から見て被害者はおそらく死んだものと思われます。なお遺体は行方不明で血痕には引きずったような後もあり、大量行方不明者事件との関連性を調査中との事です。なお警察としては―――」

 テレビからそんな物騒な話が流れ込んできた。

「セイバー、凛、これは俺が見る限り、多分例の影だと思う」

「何故、士郎?」

 私は聞く。私は直接その影は見ていない。

「俺はあの影と一度戦っている。あれは―――生き物すべてを蹂躙している」

 実に不快そうな顔で士郎は言ってのけた。

「その影は例の住宅地のものもそれかも知れないな。俺が霊体化して街を調べていたとき、大気中のマナも地面のマナもすべて食われた後があった」

 セイバーは画面を睨むように行った。

「―――影、か。厄介ね。サーヴァントかどうかも分らないし、何より腹が立つのは人を丸呑みして魔力を奪いつくそうとするその考えよ。これじゃ情報の隠蔽も難しい上にいくらなんでもやりすぎだわ」

 私はかつての聖杯戦争のキャスターを思い出すがあれとは比較にならない。

 柳桐寺の一件でも酷いものがあったのにそれ以上だ。

 ―――あ、

「セイバー。そういえば柳桐寺に結界が張ってあるって言っていたわよね、あなた」

 ああ、とセイバーは言った。

「士郎! 今日行くわよ」

「ああ、もしあそこに誰か居るなら……」

 と、士郎は言い、顔を伏せた。

 柳桐寺にはこいつの親友が居るのだ。一成と言って私とは中学時代からの腐れ縁というやつだったが、悪い人間ではない。むしろ私はあいつとけんかをするのが好きだったくらいだ。まあ、喧嘩友達といったところか。

「そうだ、一成のやつに昼の間に聞くってのはどう?」

 と、これは名案だ。我ながらこれはいい。

「いや、遠坂、俺は聞けないよ」

「あ……」

 そうだった。こいつが会えるわけがない。

 なぜなら、その体は投影魔術/固有結界の使用により変色し、そして何より―――

「俺は人殺しだからな」

 と、自嘲するかのように苦笑いをしてコイツは言った。

「分ったわ、士郎。あなたは家に大人しく―――いる気はなさそうだし。そうね、じゃあこれを……」

 私は宝石を取り出した。

「あなたの固有結界がどういったものか知らないけど固有結界を使うって事は世界を上書きするほどの力が必要でしょ? 吸血種でもないあんたがそんなことしたらよくて一回くらいしか出せないでしょうからこれ預けておくわ」

 私は彼に宝石を三つ渡した。大奮発だ。

「これ一つであんたの魔力量を上回っているから戦闘時、それも急なときにそれを飲みこめば何回か連続使用可能よ。だから私がいない間はイメージトレーニングよ。あなたみたいな『作る』魔術師はそれをするだけで潜在能力が上がるからね。それと参考用の魔術写本と聖剣や魔剣が書かれた魔本。これくらい読めるでしょ? しっかり読んどきなさい。じゃ」

「ありがとう、遠坂」

 士郎は私の宝石を取るなり、照れくさそうに眼を背けた。

 ああ、もう、こいつはこんな姿になっても全然変わってないじゃないか

 私は感情を抑えて外に出―――

「あ、士郎携帯持ってる?」

 士郎は首を左右に振った。

 この男、携帯電話も持っていないのか……半ばあきれつつ、私は彼に電話を渡した。

 すると、

「アナクロな遠坂でも携帯なんて使えたんだな」

「メールは出来ないけどね。緊急時はすぐに互いに連絡をしましょう」

 私は家を出た。

 

 Interlude

 

 若い僧―――髪を剃り、眼鏡をかけた利発そうな青年、柳桐一成は数日前からこの柳桐寺に泊まりだした男と居た。

 その男は以前、といっても相当昔にこの寺で修行をしていたらしく近年久しく思ってきたそうだ。男は年齢不詳な概観をしていた。

 黒い外套に整えられてはいない、縮れている髪に剛僧と言って通じるほどの立派な体格に苦悩に満ちた顔。

 この男の名を一成は知らないが、しかし以前この寺にいた葛木という教師にどことなく似ているように思えた。

 寡黙なところや隙のない足運び、何か格闘技をやっていそうだがしかしこの寺の住職である祖父に余計な詮索はするなと言われ、どうにも居づらい。

 この大男の身の回りの世話をすることが一成の仕事であった。

 男はよく石段のところに座り街を見回している。

 ふと、石段の下のほうに誰かが見えた。

 女性二人らしく石段を会話しながら登ってくる。どうやら一成と同年代らしい。

 二人は共にロングヘアを棚引かせながら来るが、しかし二人はまるで正反対のような人間だった。

 一人はどことなく勝気で強そうな眼をしていて一成の旧友であった遠坂凛を髣髴とさせた。

 残る一人は内気なお嬢様といった出で立ちの女性であり彼女もまた自分が学校に通っていたとき行方不明になった旧友の間桐慎二の妹の間桐桜にどことなく似ていた。

 顔形の造詣ではなく本質的な何かが似ているように一成には思えた。

「ほう、霊力は確かに無い様だが、しかし人を見る目はありそうだな」

 寡黙であった男が一成に向かっていた。

 一成自身そのように褒められる事は今まで無かった。なんとなくだがこの男からそれを聞いて一成は嬉しく思い、ふっと息を吐いた。

「すみません、観光で来たんですが見学とか出来るでしょうか?」

 と、先ほどの女性の勝気そうな彼女が声をかけてきた。

一成は案内することの許可を先ほどの寡黙な男に聞こうとした。

しかし、男は背を向けて寺のほうに向かっていった。

「―――――――あっ、えっ、そんな…」

 と、内気そうな女性―――藤乃は先ほどまでいた男の姿を認めるなり、

(嘘!)

 しかしそれは事実。

「ア―――ら……」

 と思考するも意識と理性が事実に追いつくことも無く彼女の意識は埋没した。

「藤乃!」

 いきなり倒れた友人を見て鮮花は叫んだ。

「大丈夫ですか、いきなりどうしたんですか!」

 一成は叫び、藤乃を介抱しようとしたときだった。

「あら、一成ひさしぶり」

 と、実に二年ぶりに一成は彼女の声を聞いた。

「―――遠坂、なのか?」

 一成はかつての級友にそう返事するだけだった。

 

Interlude out

 

 凛はセイバーを霊体化させるなり最初に考えたのはあの影とアサシンについてだった。

(ちっ、今のところ分っているのはあの影とアサシンだけか。ほかのサーヴァントと会いたくは無いけど情報が無いってのは最悪……)

 凛はまず橋に向かった。

 ニュースで聞くのと自分で見るのとではやはり差はある。

 まず、彼女は地面が抉られて―――いや空間そのものが抉られているように感じた。

 そこは歩いていても、感覚が軽いのだ。地面に落ちていくような錯覚を覚えるような不安定さ、それが影の走った軌跡としてある。

 生命の重みというものが極端に欠けていて、それはつまりマナが殺がれているということ。

(くっ、百聞は一見にしかず、ってね)

 凛は不快さを感じていた。この道があまりにも空虚だからだ。

(ふわふわ浮いているようで嫌だな、こんなの)

 凛は地面の血を見るなり、

「これは―――」

 間違いなく魔術師の血だった。魔力濃度は喰われたためか、殆ど無いが一般人と違い知識自体が体に刻まれている魔術師の血には(人によって差はあるものの)やはりそれ相応の回路を通った名残がある。それを見て、凛は思った。

(ようは毎日毎日あれだけ食い続けなきゃ維持できなかったのにこいつ一人を喰ったら満足したってわけだ)

 と、皮肉めいた笑いを浮かべ、あることに気づいた。

「これって―――!」

「どうした、マスター?」

 ―――口を、閉じる。

「セイバー、あなた今から言うこと冷静に聞いてくれる」

「ああ」

「これをやったのはサーヴァントじゃない。聖杯そのものかもしれない」

「聖杯?」

(だってこれ、あの士郎が言峰と戦ったあとのあの寺の庭と同じ気配がするから)

「そうよ、セイバー。多分、敵は聖杯に関する何か」

「また最悪だな、マスター。それでは俺たちサーヴァントは何のためにいるんだか分らなくなる」

 ええ、まったくよ。と私は毒づいた。

協定(ルール)無視(違反)にもほどがあるわ。どこの魔術師が行使しているんだか」

 溜息をついた後、凛は立ち上がり、セイバーに向かって言った。

「で、セイバー。今一度、私はあなたに確認する。あなたの聖杯に対する望みは何? 答えによっては契約を切る。そうでないと私はこいつと戦えない」

 しばらくセイバーは黙った後、

「では言おう、マスター。我が望みは一人の女性に会うこと。これは現界した今なら僅かな魔力量だが、しかし確実に叶う。俺はこの戦いが終わるまで君の剣と化そう。俺は正直この戦いが気に喰わない。人が無駄に殺しあうなんて、俺は嫌だ」

 もしかすると、彼は私より生と死を重く思っているのかもしれない。

 いや、むしろ誰か大事な人がいなくなったかとか―――いや、余計な詮索だ。これこそ心の贅肉だ。

「じゃあ、いうわ、セイバー。敵は多分、聖杯の中身そのもの。かつて見たあの聖杯の残骸と殆ど同一の気配。それもただの残骸ではなく、中身が」

 だから、私は、

「セイバー、柳桐寺に行くわよ。もう一度、調べるわ。あの柳桐寺を」

「了解だ、マスター。共に人を殺める化け物を殺そう」

 ええ、当然よ。

私達は柳桐寺に向かって歩き出した。

 

 柳桐寺

 

「―――遠坂、なのか?」

 一成は凛に向かってそう返事した。

「ええ、そうよ、久しぶり。で、その二人は誰? あんた男にしか興味ないんじゃなかったっけ?」

 一成は溜息を尽き、あきれたように、

「相変わらずだな、遠坂。俺は正常だ。ホモではない。男が好きなやつなぞ邪道だ。で、この客人だが、どうも倒れて脳震盪をおこしたらしくてな……」

 と、髪の長い女性―――浅上藤乃は一成の脇の木陰で休んでいる。その横には黒桐鮮花もいる。

「ん?」

 凛はふと妙な気配を感じた。

 元来、人間というのは魔力を持っている。大なり小なり、持っていてそれは生きているという証なのだ。

 しかし、この二人の少女からはまったく魔力が感じられない。

「誰かにやられたってわけでもなさそうだし」

「何のことだ? 遠坂」

「なんでもないわ。で、ちょっと今日は見学したいところがあるんだけど」

「ああ、別にかまわないさ。それって例のあの池のことか」

 ええ、と凛は答えた。

 正直、一成はあの池を見に来る珍しい客人を見るたびに変わっているな、と思った。

 かつては、綺麗な庭園にも似た趣のなる立派な池だったが五年の前のある日を境に突然その池のすべての動物、植物が死にたえ、もはやそれは死の水に変わっていた。

 無論原因は聖杯の所為だが一成の知るところではない。

 去年あたりからやっと鯉も泳げるほどに回復したが、しかしまだまだだ。

「あ、一成ちょっと聞きたいことがあるんだけどさ」

「ああ、なんだ。遠坂。俺はこれでも忙しい身だから早急に頼む」

「なんか変わったことあった?」

 なんだ、そんなことか、と一成は溜息をつき、

「お前が来たことが一番変わったことだよ。衛宮がくるならまだしもな」

 と、言った。ふと何かを思い出したか、眼鏡をくいっと持ち上げて、

「ああ、そうだ。ついでだが、この寺で実は盗難事件が起こったんだよ、遠坂」

「盗難事件?」

「ああ、日本のいくつかの寺には仏舎利が置かれているのは知っているだろう? うちの寺はそれを秘匿していたらしくてさ、それが盗まれたというんだ。どうやら俺の六代前の爺さんが隠匿していた代物らしくて警察に届けようにも届けられないというのが現状だ」

 もっともそんなことはその事件が起こってから知ったがね、と一成は不快そうに言った。

「仏舎利ねえ、あんな骨屑盗むなんてよっぽどの変わり者ね」

「まったくだ。仏教は西洋の宗教とは違って物的なものではなく釈迦の教えそのものがもっとも尊重される宗教だ。仏陀も己の遺骨でこのような争いが起こるのは不快だろう」

 と、一成は心底いやな顔をして言った。

「あんたも生真面目ねえ」

「当たり前だ。仏舎利なんぞたかが遺骨。真に大事なのは在り方だ。己の在り方と生きる道の模索、そして四苦八苦を乗り越えることこそが仏道だ」

「ま、私もその己の在り方と生きる道の模索ってところは共感するわ。たしかにそんなもの盗んでもねえ」

「むっ、そろそろ食事の準備をしなければ。遠坂、寺内を見回っても構わないが用が終わったら帰ってくれないか? 先も言ったように客人がいるのでな。それとそこの二人もな」

(誘われたって入れないのよ)と、凛は心で思った。目の前の結界は魔術刻印がある人間が入れないようになっている。つまり、山門までしか凛は入れないのだ。

 一成はそういうなり本堂に向かって藤乃を抱えて歩き出した。

「ああ、そうだ。このお嬢さんの連れのそこの人、一緒に来るか?」

 一成は振り向きざま、言った。

「いえ、私少し―――いえ大事な用件が今入ったのでその娘、浅上藤乃って言うんだけど藤乃のこと、お願いします」

 鮮花はそういった。

「そういうことだから一成、私ちょっと、この女と話があるから」

「どういう関係だ?」

 一成は疑問に思い聞いたが、

「昔の友達よ」

 分った、と一成は納得し、奥に消えていった。

 

    ………

 

 柳桐寺の石段の脇から入った竹林。

 そこで鮮花と凛は対峙している。

「あなた、魔術師なんでしょう?」

 凛は言い切った。

「とぼける時間すらくれそうにないわね」

 鮮花は舌を鳴らしていった。

「どうせ魔力殺しでしょ? それも相当強力なやつ」

 ええ、と鮮花はその問いに答えた。

「だけどその強力すぎることが仇になったわね。人間ではありえないほど消えている魔力なんて怪しいなんてもんじゃないわよ」

 と、凛は軽蔑したような眼で言った。

「ところであなたじゃないようね、ここの結界の主は」

「ええ、そうよ。私はここを調べに着ただけ。あなたと一緒よ」

 鮮花の言葉に凛は眉を顰めた。

(はずれ、か)

「だけどいいのかしら? このままだと柳桐寺のマスターに気づかれるかもしれないわよ?」

 鮮花は不敵に笑って言った。

「構わないわ」

 凛はそういうなり、

「――――Das Schliesen(準備。).Vogelkafig(防音),Echo(終了)

 凛は結界を展開した。これで一般人にはまず気づかれない。いや、並みの魔術師ですら気づかないだろう。

 異常なまでの無音(サイレント)空間(フィールド)

風の音すら消えている。

聞こえるのは相手と自分の呼吸だけ。

「そうよ、で、どうしたいわけ? あなたもマスターなんでしょ?」

 鮮花は手の令呪を掲げ、魔力を込め始める。

「ふん、でどうしたいわけ? 戦う?」

 同じく凛も戦闘態勢に入る。

「逃げることすら許してくれそうに無いわね」

「私は別に戦うつもりは無いけどあなたにはあるんでしょ」

 そうね、と鮮花は言い切った。

 

「ランサー!」「セイバー!」

 

 瞬時に現れる英霊二体。

 和の要素が溢れる竹林で西洋の魔術師を思わせる二人の女性と騎士そのものであるランサーはこの場において圧倒的な違和感を醸し出している。

 そのなかで溶け込むように自然体なセイバーが逆に不気味だった。

 そして鮮花は冷静を装うだけで命がけだ。

(………そう、気づかれちゃいけない)

 ランサーも自分も弱っていることを気づかれてはいけない。気づかれれば確実にそこを突かれる。

 だからこそ、ランサーと鮮花はいかにして撤退するかが、今の第一目標だった。

 幸い、ランサーは仕切りなおしに特化している。それを如何に使うか、だ。

「はじめましてだな、ランサーよ」

「セイバー、貴様がか?」

 ランサーは不機嫌そうな顔で見据えるなり、眼を閉じ、

「くだらないな」

 と、ランサーは心底つまらなそうに言い、

「貴様が、セイバーだと? なら俺とマスターが戦ったセイバーは何者なのだ!」

 激昂し、ランサーは眼を見開いた。

「ああ、ランサー。俺は今のところ、セイバーだ。なぜなら俺は自分がセイバーのクラスかどうかすら分らないからな。暫定的に、だよ」

 セイバーは心底溜息を深く吐き、

「そう怒るな。その件について俺はセイバーという自信がないからな」

「ハッ、ふざけろ」

 ランサーの手には魔槍が握られている。

 同じく、セイバーの手にはただのナイフが握られている。

「まずは、こんなところからか―――っな!」

 ランサーは槍を構え――――――セイバーに向かって振りぬいた。

 まさに、それは神速。紅い点となり流星が如し。目標を捕らえ、ただ突き進むのみ。回避は不能。絶対の速さを持っている。

 を、セイバーはゆらり、と静止した状態から動になる。

ゆるりと動いたナイフは魔槍を弾いた。

正しくは逸らしたのだ。金属音は爆ぜるような甲高い音ではなく掠るような鈍い音。

 ランサーはそれを見るなり、

「ほら、行くぞ」

 その神速の動きは準備運動である。ギアを上げ、速度は増す。

 赤い雨を思わせる。それは豪雨を超え、暴風雨に達している。

 それをナイフでそらし続けていく。

 布に覆われた眼は確実に赤い魔槍を捕らえている。

「ならば―――!」

 と、槍を旋回させ、

「フッ!」

 鮮やかな朱の弧を魔鎗が―――獣が如し筋肉を使いランサーは描く。

 槍の突く動作ではなく、薙ぐ動作。相手の転倒を促す動作。それを避けるなら、跳躍しかない。

 だが、上に跳ぼうとしても薙ぐ勢いにまかせ、ランサーは振り上げるだろう。

 あたる、そう確信してランサーは振るう。

 その槍を見るなり、目の前からいきなりセイバーが消えた。

 ランサーは振り上げない。上に跳ばなかった。ではどこだ。

 横にそのまま飛んだか、いや、違う。視界から突然消えた。

――――下だ。

 低く体勢を蜘蛛のように沈め、手足で這っている。

 しかし、ランサーは見逃さなかった。一瞬居にとらわれるも、口を吊り上げ、笑う。

通常の戦士相手ならば絶対の回避だろうが、そのあまりも隙だらけで低くなり過ぎた体勢はランサーにはただの間抜けに見えた。

 だが、それは間違いであった。ランサーが返す槍で振り下ろそうとした矢先、セイバーの姿は消えていた。

「―――上か!」

 セイバーはまさしく空を飛んでいるかのようだった。

 手足の筋力をフルに使い、非人間的な動きを行う。

 それを見るなりランサーも跳躍する。

「はっ、逃げるだけか、セイバー!」

 ランサーは魔鎗を構え跳躍する。

 高く、高く、飛ぶ。ただ一回の跳躍でセイバーに一気に追いつく。それはまさに獣の筋肉。豹が如ししなやかな筋肉を撓らせて飛ぶ。

だが、セイバーはさらにその上を飛んだ。

「!」

 ランサーは思わず息を呑んだ。

この場は竹林だ。足場として竹の幹を蹴り、その反動でさらに上に行く。

更に蹴り、加速し、その高みへと。

 それはまさに空を飛んでいるかのようだった。

「ランサー、このままだと俺は君を殺す」

 セイバーは言い切った。

「ふざけた事を…… 貴様、見えていないのだろう?」

 ランサーは中空にいる敵に対して言った。

「なあ、セイバーよ、お前(・・)()その(・・)眼帯(・・)()本当(・・)()見えて(・・・)いない(・・・)()だろう(・・・)

 ランサーは皮肉たっぷりに言った。二人の体は落下し始めている。

「ああ、そうだとも。ランサー。君に本気を出せない俺を恨むなよ」

 そういうランサーは槍をセイバーに突き刺すように落下エネルギーを利用してセイバーの心臓を貫こうとする。

 セイバーは悟るなり、竹の幹に捕まり、ギシリ、と落下速度を調節し、槍を交わす。

 地上にランサーが到達するなり、しなる竹を離し、セイバーは着地する。

 羽根仕掛けのように元の形に戻ろうとする竹の葉が舞う。

「はっ、ふざけろ。今が精一杯(・・・)()()だろう(・・・)()()持たぬ(・・・)セイバー!」

 セイバーは苦笑いをした。

「どうかな、ランサー。俺は剣をただ出していないだけかも知れぬぞ?」

 突如、セイバーは手を竹林に伸ばし、そこから体を反転させ、野生動物のように竹のしなりを利用して森を奔りはじめた。

「はっ、ならば我が必殺の一撃を食らってでもそんな言葉を吐けるか!」

 ランサーは槍を両手で構えたまま、足を使いセイバーのように竹で森を奔り始めた。

 

 

 それを見上げる鮮花と凛はしかし、サーヴァントを見つつも、お互いを警戒している。

 サーヴァント同士が戦っているのならばマスター同士が戦うのが道理。

 舞い散る竹の葉の中、トカゲの皮の手袋を嵌めた鮮花と宝石を握り締めた凛。

 状況は鮮花にとって圧倒的に不利だった。

 鮮花の魔術は戦闘時、必然的に近接戦闘にならざるを得ない。

 ルーン文字を刻み込み、「状態」を発生させる。という基本プロセスを通さない限り、彼女は普通の人間と大差ない。

 成すための回路がゼロなのだ。衛宮士郎にも劣っている。

 一方、凛の魔術は遠距離からの攻撃から近距離までのオールラウンダーであり、宝石という魔力貯蓄がある。並みの魔術師では対抗できない。だが、それは大雑把な動きでしかない。なぜなら遠坂の魔術は流動と変換が主であるからだ。決して戦闘向きではない。鮮花のルーンのほうがまだ戦闘に向いている。しかし、燃やすことにしか鮮花は特化していない。

 だからこそ、鮮花は己が魔術師であることを隠すために魔力殺しを使用し、切り札として浅上藤乃をつれてきたのだ。

 だが、その切り札は今、気絶している。そして魔術師とばれた限りは実力で戦わなければいけない。

「―――――――――――いくわよ」

 と、凛がいった刹那、鮮花の目の前に彼女はいた。距離は十メートル以上離れていたのにそれを瞬時に殺した。身体軽量化と体力強化を複合した魔術だ。

 あまりにも近距離で、凛は呪いの言葉を告げた。

Fixierung(狙え、),EileSalve(一斉射撃)――――!」

 ガンド―――いやフィンレベルにまで高められた魔力弾を無距離で撃ち放つ。

 鮮花は―――見切ることに長けている彼女はすべてを避けた。背後の竹は大鋸屑状になり散って行く。それは同時に腐っていく。鮮花はフィンと竹屑を避けながら竹の間を走り抜ける。

「―――FoLLte!」

 鮮花が極端に簡略化された魔術言語を言い、手にしていた銀細工のナイフを投げ出した。

 それはしかし凛に当たる前に竹薮にぶち当たり、その竹とナイフはそこで爆散した。

 あまりに膨大な熱量に凛は舌打ちをする。

(なにあれ、一流の魔術師じゃない。侮れないわ)

 だが、実際のところ、鮮花は二流である。「燃やすこと」には一流の魔術師以上の力を彼女は秘めている。実際の能力はよくてB−、悪くてC+だ。燃やすことだけならばA+と凛に並ぶ。

 しかし、それはあくまでルーンを使用できたときのみである。

「stark―――Gros zwei」

 凛は己の体を強化し、竹林を駆ける。一方、鮮花は靴に刻んだ重量軽減のルーン魔術を行使し、走り抜ける。しかし知識だけでの魔術者と魔術刻印を使用しての戦いではやはりカウント差が生じる。

 凛は強化であることに対し、鮮花は軽量化である。この時点で鮮花は速度で負けている。その差は僅かだが魔術師同士の戦いではその差が激しいものとなる。

 一秒は、まさしく永遠に等しい。カウントを使いこなすこと。如何に無駄なく行うか。

「くっ!」

 鮮花の目の前にはガトリングのように大量のフィンが打ち出される。シングルアクションで打ち出され、ガトリングという表現はまさしく的を射ていた。

 周囲に舞う竹の破片すら打ち砕き、散っていく。

だが、あることに凛は気づいていない。

それに凛が気づく前に鮮花は接近するしかないのだ。

勝機(正気)があるならば、今はそれしかない。

「しまっ―――――」

 凛が言い切る前に鮮花は凛の間合いに入っていた。

 凛が打ち出しすぎたフィンが原因であまりにも舞いすぎた竹の破片はフィンの軌道を目視可能までにしてしまった。空中に舞う葉に不可視のフィンの軌道は肉眼で捉えられる。

目視が可能ならば今までのように勘で避けることも無い。

「AzoLto―――!」

 凛の胸倉を、攫み、燃やして投げる。

 成功!

 そう、まさしく会心の一撃だった。

 だが、彼女は、いや彼女たちは気づかなかった。結界を壊す轟音が数刻前に響いたことを。

 燃え盛る爆炎。それは瞬時に引く。

目の前にいたのは

「士郎!」

 黒い服を着込んだ衛宮士郎だった。

「遠坂、携帯繋がらないぞ。不良品か?」

 手には煤けた干将と莫耶、二対の剣。

「馬鹿、結界の所為よ」

 チッ、と鮮花は舌打ちし、一気に距離をとる。

「さて、こいつが柳桐寺の魔術師か?」

 士郎は剣を持ち、ゆっくりと歩き出した。

 

 

 ランサーは槍を構える。

 ぎりぎりと、筋肉が弦のように引き絞られていく。ランサーの呼吸が大気の魔力を食っていく。

「ならばセイバー。くらうか! 我が必殺の一撃を―――!」

 セイバーは無言で眼の眼帯―――包帯をするりと外した。

「いいぜ、来いよ。ランサー」

 空気が、凍りつく。

蒼い眼。ノウブル・カラー。人でありながら魔を超える力を持つ希少な超能力者。

見るだけで周囲の―――いやランサーの危険信号が、己が数多の戦場を駆け抜け得てきた直感が危険だと告げる。しかし、本人はその直感を無視する。

なぜならば、彼はかの英雄、クーフー・リン。

至高の戦いこそが望み。至高の戦いのために召還された。既に死せる身、真に命を賭して戦えるならば、それこそ本望!

「ならばくらうがいい」

 ランサーの周囲の大気も凍りつく。

 魔槍を中心に空気の質が激変する。周囲の魔力が渦のようにランサーにめぐる。

 同格の死を持つ二人。確実に殺す、確実に殺しつくす、失敗も無く常に殺し続けてきた成功という名の死。二人は互いの死を具現化させるために向き合う。

 空中、竹林の上で、跳躍しながら―――ランサーが撥ねた。

刺し穿つ(ゲイ)―――――――」

 必殺の名を持つ真名。それは名を告げるだけで神代の奇跡を再現する。

それを、セイバーは見据え、

「そうか、これは―――!」

 その本質に気づいた。

 セイバー自身、他の英霊がどういった存在か知識は殆ど無い。彼は神代の英霊ではない。彼は戦闘をその場で判断し行動するタイプだ。圧倒的なまでの直観と洞察力。今まで何の知識もなく外れたものと戦い続けた彼にはそれ以外戦う方法は無かった。故に、知識が無いセイバーは圧倒的に不利だった。

 信じられるのは己の目と勘、そして経験と技術のみ。

それが他の英雄との決定的な差だった。セイバー自体の能力は圧倒的に彼ら古代英霊と比べれば低いのだから。

「――――――死棘の槍(ボルグ)

 言葉を、告げ終える。

 朱の曲線が唸り、『捉える』。

 心臓、その位置。

 当たり続けてきた、確実に。撃ち続けてきた、確実に。落とし続けてきた、確実に。常に、成功し、当然が如し、結果として貫き、穿ち、抉り、挿し、刺し―――全ての命を獲り続けてきた。

 セイバーは心臓目掛けて襲ってくるその槍を剃らそうとナイフを構え、そして―――その紅の魔槍は見事、セイバーを貫通した。

 

 時間が静止したように、その惨劇を美しく捉える。

 舞う竹の葉、串刺しにされたセイバー。その心臓を貫いているのは赤き魔槍。

 丁寧に作られた彫像、絵画のような美しさを秘めている。

 体は貫かれ、倒れるはず。心臓は当に殺している。

 ―――なのに、

「貴様、何故生きている、セイバー」

 その槍はセイバーのコートの脇を貫いた程度で終わった。

「おかしいぞ、確かにこの手には貴様の獣のように暴れる心臓を捕らえ、殺したはず」

 ランサーは身を引き、槍を構えなおす。

「いや、ランサー。君の攻撃は見事俺の心臓を抉りぬいたさ」

 セイバーのコートが先ほどとは違い、ぼろぼろになっている。

「ただ、君が抉ったのは俺の命ではあるが、それは君が五つの混沌(我が体内に残りしネロ)の一つを殺したに過ぎない。あくまでこちらの運が良かっただけだ」

 ランサーは驚愕に満ちた顔になった。

「混沌だと―――! 貴様、吸血種か!」

「生憎、それの敵だ。この混沌(ネロカオス)は昔、姫様に体を直してもらったときの名残だ。英霊になってまともに使えるようになったらしい、少し不安だったけどね」

 ランサーは不敵に笑い、

「面白い、面白いぞ、貴様。我が相手に相応しい。セイバー! 貴様を俺は殺す。全精力を持って死力を尽くし、完膚なきまでに倒してやる」

 そう叫んだ。

「ああ、ランサー。君が望むならそれに答えよう。さあ、お遊びはここまでだ」

 セイバーはナイフを構え、

「――――――七つ夜」

 と、その真名を告げた。

 

 

 その様子を、一人の男が見下ろす。

「ふん、低俗な」

 男は心底侮蔑した。

「我に比べればまだ児戯なり」

 嘲笑し、凛の作り出した結界に手を触れるなり、

 

「―――堕獄(迷境)」

 

 男独自の魔術言語(オリジナルスペル)を発した。

 鮮花に切りかかろうとした士郎の動きは止まり、ランサーに必殺の一撃を放とうとしたセイバーの攻撃は静止した。

 無音空間は男の短い一言で壊れた。

 それだけで、戦闘は終了した。

 

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