4 LastKnight-SpiralNight

 

 Interlude

 

 ―――蟲すら眠っていることだろう。

 夜の凍えた空気は朝方に向かって最高に冷え切っている。

 夏の前だというのに、寒々しいのは昼間の湿気が全て冷え切ったからだろう。

 ほうっと、霧じみた水蒸気が微かに浮かんで幻想的な夜なのに、地獄に近い。

凍りつくような世界で、相反する熱が何者にも勝とうとする鉄の塊にぶつかった。

 

 がおん、と空気を握り潰す音が静寂な寺の敷地に響き渡る。

 その音で目覚める人間は私以外、誰もいない。いや、元より私は目覚めていてそれを最初から見つめているのだ。

 寺の人間は石のように固まって生きているのか死んでいるのか判断が出来ないくらい動いていない。これでも昼間は動いているし、意識もある。こういうときだけ、固まっているのだ。

 いま、私が見ているのは、前に鮮花と戦ったことのあるセイバーとかいうサーヴァントと荒耶が戦っているところだ。

 荒耶宗蓮。

昔、私を助けて、私を利用した人。

痛みを思い出させてくれた彼に感謝もするし、同時に憎みもしていた。

私は人を殺さずにいられた。彼がいたから私は人間に戻れた。

 私の知らないところで私を操っていたこの男は私の知らないところで消えて、最後に残ったのは中途半端で宙ぶらりんな―――まともな感覚が戻った所為か―――自分が怖くなった自分しか残っていない。

 だけど、彼は死んだはずなのに生きていた。その理由が良く分からない。

 私はこの男がとても死ぬようには見えなかった。

 そして私はあの事件のことは誰にもいえない、そう思っていた。

 事の顛末を知っているのはこの事件を解決しようとした橙子さんと、式、それに私のことをこの二人に依頼した父。幹也さんは知らない。でも、誰かに言いたくて、一番言いたい人には絶対に言えないから私は鮮花に言った。

 彼女は怒ることも、泣くことも、嫌うことも、同情することさえなかった。

 それは想像していたものにすごく近い状況だったけど、一つだけ、彼女が私に言った。

「―――満足?」

 私はさんざん自分のことを言って、鮮花は無表情にそう言っただけだった。

 それを聞いたとき、何か分かった気がした。

 代償行為だ、幹也さんの代わりとばかりに私は彼女に言ってしまった。

 私は私自身がどうしてそれをしたいのか識るべきだったのだ。

 私は、ずるい女だ。

 一人で耐えられないから鮮花に言ってしまって、私たちの関係はこんなにもこじれてしまっている。

 螺子が旨くはまらない。

 いつもは互いに旨く噛みあっていた螺旋がねじれて、だんだんと外れていって、終いには、互いにずれてしまって、手が届かなくなってしまった。

 なんとか螺子を逆回しにしたいのに、鮮花はそれを許さない。いや、私の中の何かが許していないんだ。

 当たり前だ、いままで隠していた螺子の反対側を無理やり相手に見せれば壊れるのだから。

 私自身、人を殺してしまったことに対する後悔は、ある。

 私を犯してきた男たちを殺してしまったのはやりすぎではなかったかもしれない。

 それでも無関係な人まで傷つけて、関係のない人もついでに、自分が楽しいから殺してしまった。

 まるで子供が虫を千切って遊ぶように私も、人を捻って遊んでいたのだ。

 それが悪いことだなんて口先だけでしかわかっていなくて自分が本当に理解できたのは事件が終わってからだった。

 なんでいままで分かった振りをしていたんだろう。痛い、なんてものは無痛症になる前に知っていたのに、他の人を傷つけた痛みが自分の痛みだなんて勝手に解釈して、勝手に殺した。

 そのときの自分の考え方が怖かった。

 そのときの自分が目の前にいたら怖い。

 そんな昔の私がこの町にいる気がした。

 たくさんの行方不明者はきっと、昔の私みたいなのが食べたんだ、と感覚で分かった。

 何かを探していて、何かの代わりに周りを食べて、そして、まだ後悔していない。

 最後に傷つくのは私―――いや、町中の人を食べているその人なのに、まだその人は気づいていない。

 だから、飢えた腹を満たすために、そんな人々の姿が見たいために、いまも食べていく。

 私も、気づくのが遅かった。

 そんなものを見て私は酷く気分が悪かった。鮮花とこの柳洞寺に来る前にみたそれの通った後はとんでもなく汚らしかったから。

 目の前でセイバーが長い――天国に向かうような階段を駆け上がってくる。

 それを罰する審判のように頂上に荒耶宗蓮が立っている。

 荒耶宗蓮―――キャスターが何ごとか呟く。

 それでセイバーという騎士が瞬間的に押しつぶされた。

 ブラックホールを間近で見るならば、これほど適した光景はない。

 意外、そういう表情を二人の女性はしていた。

 そのとき、背中に電流がピリッと流れるような感覚が流れた。

「――――――あ」

 思わず声が洩れてしまった。

 ゆっくりと、振り返る。

ざくり、と私の背中に何かが刺さっていた。

 それは背中で、触ろうと思っても手の届かない場所。いや、手も動かせない。

 違う、違う、違う、私はいま、本当に何も出来なくなってしまった。

電流が全身にびくりと走って体が一度痙攣する。

―――気持ち悪い。

 吐き気があるのに吐き出せない。

 動きたいのに動けない。

 私が見ている景色が私の見たい景色とは違っている。

 ぎり、っと私の首から音がした。

 私の視界に入ったのは白い服を着た女性二人。

 双子みたいにそっくりな二人。それを眼で捉えて、分かってしまった。

 私の体が何をしようとしているのかを。

 私は、

「――――――――――――凶れ」

 ―――ぐちゃり、と白い影の一つがまるで胡桃割り人形みたいに、くるくると、上半身と下半身を逆方向に回してねじ切れていった。

 殺してしまった。

 意思とは相反して勝手に言葉が口から洩れてしまった。

 操られているから、だけど。

 私は、もう二度としないと誓っていたのに、

 あの白い服を着た女性を完膚なきまでに凶げてしまった。

 叫びすら許されない、誤ることすら許されない。

 その自由すら奪われていた。

 だけど私は叫んでいる。心が擦り切れそうなほど叫んでいる。

 口からそれが溢れることはない。声帯を通して空気がもれることもない。

 体だけは普段と変わらず、落ち着き払っている。だから余計もどかしくて、体を動かして地面をたたきつけたいのに、あの人たちの元にすぐに駆け寄りたいのに、動けない。

 私は人形。動けない。

 荒耶宗蓮が作った人形は持ち主に戻されてしまった。

 私は、人形。どこまでも自分で決めることも出来ずに他人に動かされ続ける。

 じゃあ、もう悩む必要なんてないんじゃないか。

 

 もう、考えたくなくなった。

 

Interlude out

 

 魔法使いに逢った。

 僕を蹴っ飛ばそうとしていたらしい。

 こんなところで寝ている奴が悪い。

 そんな明るい調子で言われるもんだからこっちもそれなりに言い返したりもした。

 彼女との出会いは何ごとにも替え難い結晶のような時間で、先生と呼んだ。

 僕はこの時間が楽しみで病院から抜け出している。

 こんなにも楽しい時間があるなんて知らなかった。

 先生は青空みたいに僕の心を優しくしてくれた。

 

 そして、最後に先生は僕に眼鏡をくれた。

 それだけで落書きが消えて、先生も僕の前から消えた。

 何があっても僕はあの人のことを一生忘れないし、

 それに次にあったときは絶対にいまいえなかった言葉を言わなきゃいけないと思った。

 一番大切な言葉なのに僕は結局言えなかった。

 だから、次こそは胸を張っていわなきゃいけない。そう心に誓った。

 

 Inerlude2

 

 ――――わけが分からなかった。

 リーズリットの頭は明瞭な言葉で描かれなくても感覚でそう思っていた。

 セラがいきなり下と上に分かれたのが分からない。

 ぐるぐると回って跳んで、ぼとぼとと柳洞寺の階段を転げ落ちていって、目の前の半分だけのセラの体が倒れこんではっきりと分かれてしまったことが分かった。

 ヘラクレスを霊体化させ、抱え込むようにセラの上半身を持って人外の速さでアインツベルンの森に帰ろうとする。

 キャスターは追いかけてこない。

 セラは、いきなり千切られた。

 回復するにも魔力が必要だ。それも一分一秒を争う。

 イリヤを五年ぶりに、ほんの数秒でもいいから起動させようと、リーズリットは駆ける。

「―――――――――ぅ」

 何かを言おうと口を必死に動かそうとするセラだがもう目は見えていない。光がなく瞳孔は散大している。セラの必死な行動は微かに唇を震わせる程度で、浅い息を繰り返しているようにしか見えない。

 息を切らすことなく、夜の森を駆け抜けて、森の入り口より、少し前でセラの足は止まった。森に入れば結界だ。入ってくるものはいない、はず。

だけど、その結界が侵されていた。

 森の木々は黒くなり、どこまでも暗い。

 白んできた空なんてお構いなしに月光も朝日も通さない夜ですらない闇になっている。

 それはもう一つの聖杯。

 それを狙ってきたものがこの結界を犯し、喰らった。

 ヘラクレスが実体化する。それがリーズリットにはうれしかった。

 ―――私たちの、思い、応えた。

 セラの鼓動は、もう遅すぎるくらいゆっくりだ。

 いくらマナがある限り永久に生きる生命でも、人間並、いや、それ以下の耐久力しかない体なのだ。

 傷つけられればそれらは全て致命傷。人間なら即、死んでいる怪我でいまも生きていること自体、有り得ない奇跡。

 リーズリットは闇の森を躊躇なく駆け出した。それにヘラクレスも並走してくる。

 それをあざ笑うかのように、闇に浮かぶ白い、面。

 それは気配を立ち、彼女たちは気づかない。

 音もなく、殺意すら消して、アサシンは追いかけて―――いや、余裕を持って追跡している。

 無表情なはずの面が哂っている。

 何が愉快なのか、アサシンはダークを彼らに全然関係ない方向に投げつける。

 すると、森が胎動するように、びょう、と風をならす。

 リーズリットは変わり果てた森を駆ける。

 あまりにも変わりすぎていて、自分たちの森とは思えない。

 ―――知らず、知らずのうちにアサシンの無意味に見える攻撃は彼女たちの精神に隙をつくり、その向かう先を歪めていく。

 森を抜けた。

 そこに、城はない。

「うそ」

 リーズリットは途方もなく言う。

 目の前には森の廃墟。

 さっき通り過ぎたはずのそれが目の前にある。

 ヘラクレスがその廃墟をにらむ。

 森に充満していた気配の塊が其処にいた。

 それは、海月にも似た、黒い影。

「―――――――――!」

 ヘラクレスは即座にそれに立ち向かった。

 黒い影は対して、まったく動かず、ヘラクレスの斧剣がいままで最も早く叩き込まれる。

 だが、それは届かない。

ぎゅばん、とヘラクレスの心臓が握りつぶされた。

ヘラクレスの視線のずっと向うでアサシンが嘲笑っている。その手にはエーテル塊で作られたヘラクレスの心臓が握り締められている。

 ヘラクレスは振り上げた斧剣を下ろすことなく、致命的なその隙に黒い影に食われた。

 とたん、リーズリットの令呪が痛む。

「―――――ぅあ」

 二人で制御していた令呪が消えた。

 黒い影は消えていく。

 森の空は影と一緒に消えていった。

 

 二人の聖杯戦争はここに終わった。

 一瞬前の嵐が嘘のように、いまは静寂が森を包む。

 

 ―――どこかで鳥が鳴いた。

 あまりにも綺麗な朝日。さっきまで死んでいた森が嘘のように命に満ちている。

 朝日が昇りきって、だんだんと明るくなってくる。

 眩し過ぎる日光が眼を眩ませる。

でも温かくて優しげだ。

 世界中が甦るみたいに元気になっていく。

 ―――だけど、ちっともうれしくない。

 リーズリットはセラをぎゅっと抱きしめる。

 しばらく、抱いて、自分も体の力を抜いてずるずると地面に寝そべる。

 セラの目の前の景色が急にぼやけた。

 ぽたぽたと、雨が降ってきた。

 こんなにも晴れているのにおかしいな、とセラは思っていた。

 眼を閉じる。

 二人は並んで寝ていた。それだけを見るとまるで遊びに来て疲れて眠った子供のよう。

 あまりにも目の前の見慣れたはずの森が美しく見える。二人とも穏やかに笑っている。

 もう、ゆっくりとした鼓動はない。安らぎに満ちたそよ風が二人を優しく包んでいく。

 きっと、この森の主からの手向けだろう。

 

 セラはとうに事切れていた。

 

 Interlude2 out

 

「ちょっと新都の駅まで行きたいんですけど、よろしいですか?」

 朝食を終えて、一息つくまもなく、唐突に鮮花は切り出してきた。

 

 結局のところ、衛宮士郎が私の家に帰ってくることはなかった。

 死んだか、帰ってこないだけの理由があるのか。

 私の脳裏に前回の聖杯戦争でイリヤスフィールに拉致されたあいつの姿が浮かんだ。

 一瞬、ありうるかもしれない、なんて思った。

 候補はキャスターか、マキリか、アインツベルン。いや、教会の代行者の所為もあり得るだろう。それだと生死は問われないから気分が悪くなる。いや、どれに捕まっていても最悪なことには変わらない。

 それを考えると、私は虱潰しに調べようにもどこから手を出せばいいか分からない。

 鮮花―――の友人のことも忘れてはいない。もし歪曲の能力が高レベルなら魔術とは違う系統の攻撃だから対サーヴァント、マスター戦において圧倒的優位に立てる。

 もし自分のときに使われていたら私がねじ切れていたかもしれない。

 それに、ライダーの正体も橋の向うの連中も知れない。

 あの時、私たちの戦いを見ていたのは別のマスターとサーヴァント、或はライダーの関係者か――――その両方か。

 あのライダーの魔力量は半端じゃなかった。

 恐らくはあの黒い影と関係があると考えたほうが妥当だろう。あれだけの魔力はこの街の人間を喰らい続けた結果か。ここ五年での行方不明者、殺人、原因不明の昏睡事件は前回の聖杯戦争と比べれば極少なかったが年々増してきていた。

 ここにきて、今の状況は五年前より酷い、と思う。

 何もかも最悪って感じだけど、逆境を乗り越えるのは私の筋って奴だ。そこらへんが鮮花と妙にあったりする辺り、似たもの同士なのかもしれない。

 いつもどおり、居間で紅茶を飲もうとして―――改めて士郎がいないという実感が湧いた。シキが入れてくれた紅茶は確かにおいしいが士郎とは味が全然違っていた。

 反対のソファーには鮮花が座っている。向うもこっちと思っていることは大体一緒のようだ。お互いの相棒がいないのだ。どちらを優先するか話し合わなければならない。

 鮮花はたぶん、私が我を通して士郎を探すなんていうと思っているだろう。

 だけど、それは却下する。

 死んでいる確率なら士郎が一番高い。生きていればいい。

 一方、鮮花の友人の浅神藤乃は柳洞寺にいることは確かだが不鮮明なのだ。

 くそ、ピースが合わない。

 ライダー、あの橋の二人、黒い影、柳洞寺から一歩も離れないキャスター、アインツベルン、これらは全部結びついているはずだ。その核にあるのは聖杯だろうけど、もっと、それよりミクロで大事なものがいくつかあってそれで繋がっている気がしてならない。

 そこに、士郎がいる気がする。

 全部繋がっているはずなんだ。きっと、私だけがそれに絡まないから分からない。

 大師父の教えは三家それぞれ違うものだから絡み合わない。ひょっとしたら遠坂だけに何も言っていないのかもしれない。アインツベルンとマキリが隠匿している可能性は十分にありうることだ。

 気になることといえば、私の夢はやはりシキの記憶なのだろうか。

 よく分からない。

 アーチャーのときはそういう経験はあまりしなかったのだがレイラインの影響だろう。私は彼の過去を夢としてみている。そんな悪趣味は私に無いから彼には黙っている。

 それでも気になる。あの眼鏡とあの魔法使いを名乗る女の人。

 青、なんて本当に魔法使いなのだろうか。

 英雄はその一生の間に英雄になるための出会いがある。それがあれだったのかもしれない。

 だとしたらあの魔法使いは本物かもしれなかった。

 そういうことを考えながら私は朝食を作ってそれを二人で食べた。

 そして、鮮花がいきなり新都にいくと切り出してきたのだ。

「一応聞くけど、どうして?」

 苦虫を潰した顔をしている。

「いえ、その師匠の貸してくれた鞄を駅のロッカーに入れてあるんです。使うことはないと思っていたんですけど、こうなった以上なりふり構っていられません」

 師匠、といえば封印指定のオレンジだ。

ひどく興味がそそられたが、中身は果たして何か。

 ひょっとしたら『何も亡い』という可能性もある。

「中身は聞かないほうがいいかしら?」

 魔術師は知られると価値を損なう。封印指定までくればそれを知ること事態、何らかの因果が発生する可能性だってある。

「言えるわけ無いじゃないですか。まあ、しいて言うなら不死身の怪物です」

 そう自信なさげに言った。

 酷く矛盾しているように思えた。

 

 真昼間だというのに、人が少ない。

 事件が多いこの街は自然と陰鬱な空気が支配していくのか、活気というものが存在していなかった。

 五年前と比べればまるで別の街だ。

 灰色がかった街を歩き、暗い駅のコインロッカーの前に立つ。

 大きなガラス張りの壁から日差しが翳んで入ってくる。

 澱んだ泥沼のような空気の底で古びたロッカーから鮮やかなオレンジの光沢を放つ小さな箱のような旅行鞄が姿を現した。

 不死身の怪物、箱。

 不吉なそれは嘲笑うかのように私の目にオレンジの光をぶつけていた。

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