2/ 捻れる世界 A Spiraling World

 

―――二日目/1

 

ベキンッ

倉庫に音が走る。

聞こえるのは機械で何かを壊す音。

  ベキンッ

  さらに響く。

 ブチッ

一際、嫌な音が響いた。

 

 

――――雨、

汚れた服をどうしようかと思った矢先、通り雨が降っていた。

私の汚れが流れていくのには十分な量だった。

とても冷たい雨だけど、感謝してしまう。でも私は神様に感謝なんて出来ないと思う。

学校では儀式的に毎日朝に祈っていたりしていたけど結局こうなるのだから信じていても信じていなくても変わらなかっただろう。

私の中で、まだ、彼らを凶げたときの記憶が不鮮明だ。

何故、凶げたのだろう、そう思うと鈍く光る何か。

 

そう、暗く光るナイフを突きつけられて、刺された痛みが強くて、凶げた。

見てみると制服にナイフを突き立てられた穴がある。

そこから刺された皮膚を見る。

―――傷が、塞がっていた。

でも、奥から、痛みが、熱い疼きの残留がある

 じわり、と染み出してくるような痛みが、体中を震え上がらせる。

 

―――ああ、これが痛み

 

なんて、辛くて、なんて、嬉しい。

お母様、私はこんなにも―――痛みの中で―――生きている。

 

 

「おまえ、本当に黒桐幹也君か?」

学人の第一声は驚きに満ちていた。まるで僕を宇宙人か何かを見るような眼で言う。

「僕だって、困ったときくらい、お前に頼るさ」

僕は学人から、一応金を借りることに成功した。

「ま、おまえ名義でいろいろ出来るからいいけどよ。五十万くらい」

なんて、言ってる。僕はどのように利用されるのか少し興味がわいた。

「そうだ、黒桐、ちょっと、頼みがあるんだ」

「断る」

 大抵厄介ごとだ。こちとら一晩飯にありつけていない。

「いや、その金の分だと思ってさ…」

仕方なく、聞いてみる。

「後輩の湊啓太って、憶えてるか?」

正直、記憶に無いような……

「ほら、おまえに懐いていたやつだよ」

 記憶をめぐらせる。何人か僕の周りにいた顔を思い出すと、

「ああ、彼か」

なんとなく覚えている。

「で、その湊啓太がどうしたの?」

「なんか、麻薬でラリって幻覚見てるとかって話らしいんだが……」

「で、どうするんだ?」

「探してきてくんねえか」

僕はため息を吐きながらOKをした。

「で、携帯の番号は? 湊啓太の」

「おっ、さすが、黒桐幹也君だ」

 

 

学人の家を出た後、家に帰る途中、女の子が苦しげな顔で蹲っていた。

こんな夜遅くにいるのだから危ないにもほどがある。

その彼女が着ている服はなんとなく、メイドっぽいと評判の礼園女学院の制服だ。

無論、僕にそういった特殊な趣味があるわけではない。言ったのは学人だし、妹がそこに通っているから知っているだけだ。

「大丈夫かい?」

 僕の声にビクッと反応し、顔を上げる。

目の前の子は鮮花のように髪を長く伸ばし、鮮花の勝気なお嬢様といった感じとは対極に位置するような子だ。いわば、深窓の令嬢みたいな雰囲気だ。だからといって西洋人形的なものじゃなくて、和の人形とかそういったものの美しさだ。

「……はい、大丈夫です」

落ち着いた声で喋る。だけど何かこらえているのは眼に見えて分かる。こちらに心配掛けまいと大丈夫なんていう。

彼女の顔は青く、チアノーゼを起こしている。蹲っていた理由はおそらく、手を当てている下腹部が痛むからだろう。

「お腹、大丈夫?」

「いえ、その、私―――」

よく見ると彼女の制服は所々濡れている。

……そういえば、さっきまで雨が降っていたかもしれない。

「礼園の生徒がこんな時間に何故、街にいるんだい?」

彼女は答えない。

「うーーん、家出か何かの類いかい?」

「ええ、まあ」

俯き加減で彼女は言う。

「今は終電も過ぎてるし……じゃあ、僕の家に泊まるかい?」

「え? 良いんですか?」

 陰鬱だった顔がぱっと一瞬華やかになってそこにいるのが本当に同じ少女か一瞬、疑問に思ってしまった。

「別にかまわないけど、これでも健康な一般男子だ。もし君が変に刺激すると襲いかねない」

 そういって、僕らは笑った。

 彼女はどことなく寂しい笑顔だった。

「お腹、痛む?」

「はい、とても、泣いてしまうくらいに―――泣いても、いいですか」

 

 

 私が夜、散歩するのは何故だろう。

昔から、何かを求めている。

―――それは、他人の血で埋め尽くされた源風景。

紅い世界。

朱い炎。

赤い目。

それらに対して覚えているが、断片的で虚ろだ。

その記憶が欲しくて私は月夜の街を闊歩しているのかもしれない。

 

―――ビルの上から少女が墜落ちる。

   瞑れた音が私の耳に不快に響く。

 

最初、八体の幽霊の一つが落ちてきたのかと思った。

傾いだ世界から落ちたものと変わりは無い。

「悪趣味だな」

本当にそう思った。

こんなに、涼しく、過し易い夜の気分を害されるなんて、なんて不快。

私から見た目の前の人花は現実味に欠けていた。

「でもきれいだ」

問われるなら私はこう答える。賛美するだけの非現実的な美しさがそこにあった。

貌の、無い、顔。

そこから派生した闇に浮かぶ白い手足がまるで百合のようだったからだ。

 その白い死体がだんだんと、ゆっくりと赤い色で飾られていく。

 しゃがみこんで、それに指をつけて、顔に近づける。

 頬が高潮してくるのが分かる。興奮しているのかもしれない。

 周りに人はいない。私はその紅い血を口元に持っていって口紅のようにして唇を染め上げた。初めての化粧だった。

 遠くでパトカーのサイレンが鳴っていることにも気づかず、私は恍惚としていた。

 

 

彼女とは家に着くまで何も喋らなかった。

なんとなく、そのほうがロマンチックに感じたからだ。
 アパートに辿り着くと少女はシャワーを借りたいといった。

濡れた制服も乾かしたいというので、席を外した。
 煙草を買う、なんてこと言って部屋を出た。

吸いもしないものを買いにいく口実に使うなんて僕は不器用なんだろう。近くのコンビにまでパスタを買いに行く。
 帰ってくると少女は居間のソファーにもたれて眠っていた。
 目覚ましを七時半にセットしてベッドに横になる。
 お腹のあたりが切られた少女の学生服がやけに気になった。

 

 

「七夜、遅かったな」

灯りのない、伽藍洞な部屋でネオンを見つめながら魔術師は少年に問う。

「すみません、橙子さん」

七夜と呼ばれた少年は所在なさげに魔術師を見る。

少年は温和な顔立ちで作りは黒桐幹也に近い。

ただ、眼鏡は無く、夏休みとあってか、服装はTシャツにジーンズというラフな格好だ。

対照的に魔術師はスーツを着て身を固めている。

暗い部屋から、見える街の光が僅かに魔術師を照らし、彼女をより、異端として仕立て上げる。

煌く光がオレンジのイヤリングに反射する。

「両義、式。彼女についてか?」

少年は、はい、と一言答えた。

「生憎とハッキリした情報はなくてな、調査中だよ。遠野、軋間か。まったく、これから忙しくなるな」

彼女のテーブルに資料が置かれている。

そこには、『遠野 式』と記述されている。それは志貴の目に入らない。

「おい、七夜、貴様に別件の依頼がある」

「なんですか、橙子さん」

魔術師は少年に別の紙の資料を投げつける。

それを不満そうな顔で受ける。

「その少女の破壊、もしくは止めろ」

「橙子さん、本気ですか?」

 明らかに嫌そうな声で少年は言った。

「生憎、その手の人間に関しては君が一番向いていると思ったからね。存在不適合者、彼女みたいにインチキな輩は君みたいなのがちょうどいい」

そうだ、と、彼女は何かを鞄から取り出し彼に投げる。

「刀崎の名刀だ。一応、人外の者の刀だ。多少はその普通のナイフより使えるだろう」

 布の包みの中には不恰好なナイフがあった。

 刀身に無理矢理、複合素材の持ち手を付けた雑なナイフ。

 それをまじまじと見る。

 白に近い銀の刀身は見たことも無いような摩的な美しさを持っている。

 思わず見惚れていると、

「ああ、不恰好だよ! 私が造ったものの中で最も不細工な武器だ。時間より金が無くてな」

 不機嫌そうに煙草を窓から投げながら言った。

「これも黒桐がちゃんとした生活をしないからだ」

 ……貴方がもっとまともに会社経営すればいいんじゃないですか、

と、死んでも言えない事を七夜は思った。

 

 

 目が覚めると、少女は所在なさそうに居間に正座していた。
 こちらが起きるなりおじぎをする。
「昨晩はお世話になりました。お礼はできませんが、本当に感謝しています」
 それでは、と少女は立ち上がり出ていこうとする。
 そのおじぎをする為だけに正座をして待っていたかと思うと、このまま帰すのは忍びない気がした。
「待った。朝ごはんくらい食べていきなさい」
 言うと、少女は大人しく従った。
 食材は昨夜、コンビニで買ったパスタとオリーブ缶だけだったので、朝食は自然、スパゲッティーとなる。

二人分を手早く作って食卓に運び、少女と一緒に食べる。
 会話が淋しいのでテレビをつけると、朝から食欲をなくすニュースがやっていた。
「―――うわあ。こりゃ、また、橙子さん好みな」

うっかり、とんでもないことを口にした。

本人がいたらどれだけいびられるだろう。
 でもそれぐらい、ニュースの内容は猟奇的だった。
 現場にいるキャスターが語る内容を、僕は食事をしながら聞いてみる。
 昨日の夜、半年前から放置されていた地下バーで四人の青年の死体が発見、四人はいずれも何者かに手足を引きちぎられ、現場は血の海になっていた。
 場所はわりと近い。学人の家から四駅ほど離れたあたり。

さらに、続けて駅近くでの倉庫でも似たような死体が発見されたらしい。

もっとも、地下のバーでの殺害と関係あるかどうか分からない。
 捻じ切れた手足、というのは想像すると―――だめだ。

とてもじゃないがスパゲッティーを巻いて食べるなんて出来ない。ミートじゃないのが救いだ。

そうこう考えているうちに被害者達の身元を公表し始めた。
 被害者の四人はいずれも高校生の少年で、現場付近の街を中心に遊んでいた不良らしい。

薬の販売もしていたらしく、被害者達の知人にインタビューが移行していく。
―――殺されても仕方ないんじゃないですかね、あの連中。
そんな言葉が、テレビから流れる。

死者を責めるようなニュース内容に嫌気がさして、僕はテレビをきった。

 ふと少女を見ると、彼女は苦しげにお腹を押さえていた。
 朝食を一口も食べていないところを見ると、やはりお腹の調子が悪いんだろうか。

うつむいているため、表情がわからない。

「―――殺されて仕方のない人なんて、いません」
 荒い呼吸のまま、少女はそう口にした。
「なんで―――」
 彼女は急に立ち上がると扉に向かっていく。
「待った。落ち着いたほうがいいよ」
「いいんです。―――やっぱり、もう戻れない。それに、あれは知らない」
 彼女は僕のほうを見て―――
「―――さよなら。もう二度と、会いたくありません」
 少女はそう言って去った。
 その、寂しそうな、壊れてしまいそうな顔が心に咎められた。

 

 

アーネンエルベ、遺産という名の喫茶店。

客はそれほどいなくて礼園女学院の生徒が二人、座っている。

七夜さんはその反対側で紅茶を飲んで待っていた。

「やあ、晶ちゃん」

軟らかい笑顔を浮かべて私の名を呼んだ。

「前置きはなしにして、今朝のニュース、見たかい?」

私はそのせいでホテルの朝食を食べられなかった。

「はい、捻れた、奴ですか」

うん、と彼は肯く。

「新聞を見ると空から女性が落ちてきたっていうのもあったな。あ、ごめん。気分悪いかな?」

「ところでさ、君が見た、三つ目の未来って何だったの?」

私は躊躇した。

まさか、七夜さんが殺されかけているなんて言えたもんじゃない。余計な心配を掛けたくない。

「ひょっとして、僕に関することとか? だったらぜひ聞きたいね」

なんて勘のいい人なのだろう。しかもそんな言われ方をしたら答えるしかないじゃないか。

私は正直に以前の幻視について話した。

 

 

私は黒桐さんと一緒にアーネンエルベにいる。

黒桐鮮花。

私の親友。

私達が同じ制服を着ているということは間違いなく同じ学校の生徒だという証だ。

「ごめん、兄さんったら多分、また忘れてるんだわ」

鮮花はそう言って二時間前に入れた、冷めた紅茶を啜ってる。

私のカップはとうに空だ。

「でも、別に無理しなくても……」

鮮花のお兄さんは信じられないほどの人脈があるらしく私が会いたい先輩の話をしたらすぐに見つけられると言っていた。

鮮花はこういうと語弊があるが、なんというか凛々しい。

喋り方や態度は普通の私達の周りの人たちと大差は無いのだが心持といおうか、それが強い。

「ここからじゃ、公衆電話まで遠いし……」

私達の学校は全寮制なので外出も禁止されている。携帯電話も禁止されている。

私や鮮花のように外出許可を貰う生徒は極、稀だ。

鮮花には悪いけど実は私は昨日、彼に会ったのだ。

正直、別に鮮花のお兄さんに探してもらわなくてもいいと思う。

あの場所から耐え切れなくて逃げ出した今の私が正面から彼と話し合う価値など無いのだから―――――

「―――――君が、曲げた犯人か」

目の前には物腰柔らかなのに、作り物の笑顔を貼り付けた線の細い男がいた。

その眼は獲物を狙う虫を思わせた。非人間的な目。

彼はそれ以外何も言わず、私の視界から消える。

ぞくり、と君の悪い感触が背筋に走る。また、お腹が痛くなってくる。

「知り合い?」

鮮花はきょとんとした顔でいう。

「いいえ」

「藤乃、大丈夫? 顔が白いから気づかなかったけど真っ青よ」

「大丈夫。ああ、鮮花。私ちょっと用事を思い出したから失礼するわ」 

 後ろから鮮花が何か言っているけどお腹が痛くて仕方がない。私は逃げるように立ち去った。

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